1998年、満期出獄して二人の虚偽告訴人を提訴、このときに園田夫婦は、渡邊良隆弁護士を告訴代理人として”お礼参り”を刑事告訴準備していた
この様子に出国して初口頭弁論を待った、答弁書で被告双方の認否に対極の違いが出た、虚偽告訴の焦点である園田の同意書の存在を、園田は否認、須崎は認めた

この時点で虚偽告訴事件は証明できた、しかし代理人からは再審請求に向けた訴訟であれば委任を下りる、また須崎の代理人・山下正祐弁護士は「刑事事件の虚偽申告は不法行為に該当しない」
以後は訴訟進行の問合せをすることなく、二度の原告尋問に帰国、完勝をしての帰国として、何もモンダイはない、有るのは解決に向けた愉しみ・・としていた

1999年6月、代理人から「新たな裁判に向けて帰国を」 この連絡に完勝を確信して、ここで初めて検察官の偽造署名の事実を証拠を沿えて東京高裁司法クラブなどに航空便で送った, 三ヵ月後の判決はまさかの完敗であった、その後に続く艱難辛苦、荊の道に解決は雲煙の彼方である、この閉塞情況から未だ知らぬ訴訟記録の返還を赤沼弁護士に求めようかと。




2000年10月に記者クラブ等に郵送


警察、検察、裁判所の関係は、ファミレスに例えると以下のとおりです。

警 察: 出入りの食材業者
検 察: 電子レンジを多用する調理師
裁判所:出来た料理を運ぶアルバイト

略式だと「有罪を認めるから、迅速な手続で」ということになり、裁判官は書類が出されると、自動的に判を押すような思考プログラムが内蔵されていますので、検察でチェックできないとそういうミスが発生するのです。